昨日、「35年目のラブレター」という映画を見ました。笑福亭鶴瓶と原田知世が夫婦役を演じています。映画の中で「ふつう」について考えさせられるシーンがありましたので、今号では、「ふつう」について考えてみたいと思います。
最初に、平成28年度の愛知県の人権啓発ポスターです。次のように書いてあります。
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ひとりだけ丸がり頭だ~!
仲間外れだ~
でも、あなただってひとりだけ左利きよね
きみは、ひとりだけメガネだよね
そういうわたしは、太ってるわ
僕は背が低い
ほんとだ、みんな違うじゃん!
(一番下に)
わたしの「ふつう」と、あなたの「ふつう」はちがう。
それを、わたしたちの「ふつう」にしよう。
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この「ふつう」というキャッチコピーをインターネットで見つけた時、「とても印象的でメッセージ性がある。」と思いました。人権啓発ですが、押し付けでなく、人権問題を身近に感じることができ、当たり前のことが当たり前に、シンプルに伝わってきました。
もう一つ「ふつう」について述べたいと思います。平成29年度「第15回とくしま文学賞」の随筆部門の「最優秀」に「フツウ?」という作品が選ばれました。著作権がありますので、全文は掲載できませんが、その一節を紹介します。
(…中略)「普通と言われている人生を送る人間なんて、一人としていやしない」とアインシュタインが言っているように、何も問題を抱えていない人など誰もいないのだ。人はその基準すら曖昧な「普通」という言葉を測りに、自分が幸せかどうかまで確認しようとする。「世間並」「平凡」など言葉を変えて、「異常」でないことに安心し、「特別」な才能がないことに落胆しつつ、「やはり普通でいい」と呟く。しかし実際は、「普通」に暮らすことこそが一番大変なのだ。アインシュタインはこうも言った。「人生を楽しむ秘訣は普通にこだわらないことだ。」(続く…)
いかがでしょうか。わたしたちが疑いもなく信じているものの裏面を鋭く指摘していませんか。