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鳴門西小学校の風景

校区紹介

慶長年間初期(1600年頃)に篠原孫左衛門氏がこの地に塩田を開拓したと言われています。
昭和になって合同製塩組合が設立され、塩業の隆盛となりましたが、昭和30年ごろから、製塩法が「入り浜式」から「流下式」にかわり、続いて「イオン製法」による操業が開始されるにおよんで、この地から塩田は姿を消しました。
塩田から吹いてくる砂まじりの風から家を守るための高い石垣や塩田内への海水の取り入れや排水に利用された水尾川(にお)が塩田の名残として今にその姿をとどめています。
現在は、都市計画により道路や下水など環境の整備が着々とすすめられ、小鳴門大橋の開通により、交通の便も良くなり、新しい住宅が数多く建築されてきています。

入り浜式塩田の様子(鳴門西小学校百年史より)昭和40年頃の鳴門西小学校付近の航空写真です。
流下式塩田がひろがっています。
写真の中央やや左、校歌に歌われているように、「寺山」下に鳴門西小学校が見えています。
今と比べると小さく、運動場も狭いようです。

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takashima
高島地区
mitu
三ツ石地区

塩田屋敷(福永家住宅)ここ高島は江戸時代から塩づくりのさかんなところでした。
福永家住宅は、住まいの「おもや」を中心に海水をためる「かん水ため」やかん水を炊く「釜屋」、できた塩をおいておく「塩納屋」など、まさに塩作りのための屋敷です。
塩作りは「入り浜式」という製法で行われていました。
昭和51年に国の重要文化財の指定をうけています。
昭和55年から復元修理が行われ一般にも公開されていましたが、現在は建物の一部破損のため閉じられています。

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塩田模型

鳴門西小学校の玄関にあります。

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小鳴門大橋(こなるとおおはし)1998年(平成10年)に完成しました。
小鳴門海峡をまたぐ橋長530mの鋼斜張橋です。高島地区と国道11号を結ぶ主要道となっています。

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黒崎渡船(くろさきとせん)対岸の鳴門市黒崎地区と高島の間の小鳴門海峡には渡船があります。
これは鳴門市が経営していて乗船料は無料です。(参考:鳴門市HPの渡船)航行時間は約2分の短い船旅です。
使われている船は、なると丸という7.3tの船です。6:40黒崎発から19:54高島発まで1日34往復されています。
高校生の通学など自転車での利用者がたくさんあります。

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鳴門教育大学(なるときょういくだいがく)1981年(昭和56年)に開校されました。1000人以上の学生が学んでいます。(参考:鳴門教育大学のHP

鳴門西小学校とは、教育実習やボランティア活動、ゲストティーチャーとして来て下さる方などいろいろな交流がたくさんあります。

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鳴門ウチノ海総合公園2003年6月にできた新しい公園です。
(参考:鳴門ウチノ海総合公園HP)約20ヘクタールの広大な敷地。3.6ヘクタールの県内最大の芝生広場。
スケードボードやミニバスケットビーチバレーのコートなどのスポーツ施設やデイキャンプ場などがあり遊び要素いっぱいの楽しい公園です。

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昌住寺(しょうじゅうじ)

鳴門西小学校の東隣にあります。

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鳴門東小学校の閉校にともない、令和6年度より、校区が広がりました。

〈旧鳴門東小学校校区の紹介〉

鳴門市の北東部に位置し,世界遺産登録をめざす「 鳴門 海峡の渦潮」 を含む,風光明媚な自然環境に恵まれた地域です。地域では,古くから鳴門金時・ らっ きょう等の農業や,鳴門わかめ・鳴門鯛の漁業に従事する人々が多く,自然とともに人情味豊かな生活を送っています。
地域の人々は学校教育に対して極めて協力的で,学校・家庭・地域が一体となって子どもの健全育成を図っています。

鳴門東小学校の校歌でうたわれている千鳥ヶ浜

千鳥ヶ浜から見る大鳴門橋