ハンセン病について正しく理解し、病気や元患者等に対する偏見や差別のない社会の実現のために、PTA人権教育研修ツアーを企画しました。
1.日時
令和8年8月27(木)
2.場所
国立療養所大島青松園
〒761-0198香川県高松市庵治町6034-1
3,参加者
教職員10名,保護者2名,生徒2名、計14名
(生徒1)私は、今回ハンセン病についてたくさん知りました。Aさん(徳島県出身入所者)にお話を聞いたときは、なぜ「感染病にかかかる」=「隔離する」という考えになったのか不思議に思いました。ハンセン病自体は感染力が弱く発症率も低いのに、もう少し様子を見たり、一緒にいてあげたりすれば心が楽だったかもしれなかったと思います。私はハンセン病についてもっと知って、今回のツアーで学んだことを生かして差別をなくしたいです。
(生徒2)今回のツアーを通して、ほくはハンセン病を詳しく知らなかったので、療養所に研修に行くとなったときに「ぼくもうつるのかな」という不安も少しありました。でもツアーの中でハンセン病は感染力が弱いことをしってほっとしました。そして第二次世界大戦中にアメリカでハンセン病に効く薬が開発されたことを知りました。ぼくはまったく調べずに参加したので、話がよくわかりませんでした。でもAさんや島を案内してくれた人たちのおかげで、ハンセン病についての差別意識そして当時の扱いのひどさを知りました。ありがとうございました。
(保護者1)「私にとってもふるさとはやっぱり〇〇です。」小3でハンセン病を発病し、86歳の現在も大島青松園で暮らす女性はそう言い切っていました。入所者の方は高齢となり、いま私たちにできることはハンセン病を正しく理解し、風化させないこと。それが今でも根強く残る偏見や差別を減らしていく第一歩につながると感じた研修でした。学びの多い貴重な機会を与えていただき、ありがとうございました。
(保護者2)今回のツアーに参加するにあたり、事前に少しハンセン病について調べなおしましたが、まさか現在も療養所で生活している人がいるとは思いませんでした。ハンセン病は過去のもので、特効薬も開発されており、治る病気だと情報を得ていたからです。しかし現実には病気は治っていても過去の差別政策のせいで地元に帰れない。特効薬は第二次世界大戦中にアメリカで開発されましたが、戦争による輸入停止に加え、隔離政策や差別構造によって早期発見、早期治療という発想が弱かったことなども、後遺症を残す患者を多く生んだ原因の一つだということも知り、勉強不足を痛感しました。現在、ハンセン病は治る病気であり、本来、らい菌の感染力は弱いものです。戦前・戦時中は栄養状態や衛生環境が悪かったため、発症する人が比較的多くみられましたが、現代では感染しても発病することはほとんどありません。正しい知識や情報を知っていれば、差別やいじめはなくせると思います。すべては知ることから。令和の情報化社会で正しい知識を身につけていきたいと、改めて感じさせてもらいました。ありがとうございました。
(教職員1)人権教育をする上で、私自身がきちんとした知識をもっていないと授業することが難しいと多々思っていました。ただ本などで知識を得るよりも、実際にこの目で見て、聴いて、感じて、それを生徒に今後伝えていくことができればと思い、参加しました。研修に行く前にハンセン病のことを調べて学習していきましたが、フィールドワークや講話の中で涙ながらに話される入所者のAさんの様子から、差別に苦しんできたことや想いが伝わってきて、調べるだけではわからない言葉の重みと空気感を知ることができました。無知が差別を作り出してしまうことをしっかりと生徒に伝えていきたいと思います。ハンセン病の人権問題と向き合ったこの研修ツアーは一生ものになりました。教師だからこそ、この学びをたくさんの人に伝えていくべきだと思いました。Aさんの想いも授業で生徒に伝えていきます。
(教職員2)今回、研修に参加して様々な人権課題を「自分事」として考えるためには、やはり「実際にお話を聴く」等、つながっていくことが本当に大切だと再認識した。港まで見送ってくださったAさんの心情を考えると、心が苦しくなった。私たち教員ができること、子供たちに正しく理解させ、伝えていくという責任をしっかりと果たさなくてはいけないと強く思った。
(教職員3)これまでハンセン病について深く学んだことがなく、どのような差別があtったのかは知っていたものの、子供たちに伝えていきたいという思いはそれほど強くはありませんでした。しかし、今回の研修で自分の五感で体感し、しっかりと向き合っていかなければならないことだと認識しました。大島の景観や当事者のAさんの話には、それだけの重みがありました。今回知ったことや感じたことを伝えていきたいと思います。
(教職員4)Aさんが最後に伝えくださった「ハンセン病は怖い病気じゃない。周りの人からいろんな話を聞くかもしれないが、決して怖くない。」という言葉は忘れません。「差別しないで」でも「偏見をもrたないで」でもなく、まっすぐな思いが込められた強い言葉でした。帰りたい場所へ帰れること、自分の人生を自分で選べること、こういった普通のことが人権なのだと改めて感じます。Aさんが帰りたい故郷へ私たちは帰り、それをAさんは最後まで見送ってくださっていました。
(教職員5)生徒にハンセン病について教える立場として、今回の研修に参加することができ、本当に良かったと思います。Aさんの言葉を直接聞くことができ、ハンセン病についての正しい理解だけでなく、これまで経験されていきた思いや願いを知ることができました。今回学んだことをこれからの世代を担う生徒たちに伝えていきます。
(教職員6)2回目の大島青松園でしたが、1回目で学んでいたことを今回再確認したり、新しい知識を得ることができたり、大変有意義な研修となりました。Aさんの故郷へ帰りたいという強い願いを私たちは決して忘れてはいけない、伝え続けなければいけないと思いました。
(教職員7)今回の研修を受けて、自分がまったくハンセン病の知識がないことを痛感しました。Aさんのお話や文章を読んで当時のハンセン病と知られることの怖さや園内の生活の大変さ、島から出られない不服な気持ちなど、いろいろと感じ考えさせられる機会となりました。一番心に残ったことは、娘を小屋に閉じ込めてでも連れ去られたくない父の気持ちです。ハンセン病のせいで家族4人も連れていかれた父の想いはやりきれなかったのだと思いました。
(教職員8)今までもハンセン病についてのパンフレットや新聞記事など、何度か目にしてきたことはありましたが、今日の研修ほど、真剣に向き合ったことはなかったように思います。実際に足を運び、自分の目で見て話を聞いて初めてわかることも多く、本当の意味で「知る」ことができた1日だったと思います。「されたことは忘れないけど、人に恨みはもたない。笑顔でいることが1番」と話してくださったAさんの言葉を胸に、今回学んだことや感じたことを伝えていきたいと思います。官有船を見送ってくださるAさんに手を振りながら、何とも言えない少し切ない気持ちになりました。参加してよかったと心から思いました。ありがとうございました。
(教職員9)初任研で訪れて約20年後。再び訪れ、差別の実態を知り、改めて憤りを感じました。Aさんのお話の中の「あいさい広場」から南の方角を見るのが精一杯。そこから南へは行けないんですよ」とおっしゃったことが、らい予防法が廃止されて30年たった今もなお、Aさんが受けた差別がいかに悲惨であったかを物語っていると感じました。現在の入所者がいなくなれば、療養所はなくなるかもしれないと聞きました。その場で感じることは、たくさんあります。子供たちに今回、現地で学んだこと感じたことを伝えていきます。
(教職員10)Aさんの母親がハンセン病患者として収容されるとき、泣いてすがる娘たちを振り返らなかった気持ちは想像を絶するものです。また、ご自身がハンセン病発症後、1年近く人里から離れた山小屋で生活されたそうですが、国家権力や周囲の差別から娘を守ろうとした父親の必死の抵抗であったことを知りました。どの立場を想像しても胸が締め付けられる思いです。どこか遠くの話ではなく、身近な場所でも行われていたこと、未知なるものへの恐怖や同調圧力が偏見や差別を生むこと、無らい県運動はコロナ禍における連日のテレビ報道や行政施策と何ら変わらなかったことなど、現代でも共通する部分がたくさん見受けられます。また、島内フィールドワークで見た解剖台も負の遺産として引き継いでいくべきものでした。当時、入所時に死後の解剖について承諾書を書かされていたことや、死後解剖ができる施設として多くの医学生が希望していたこと、また島内で結婚するためには男性が去勢手術をしなくてはならなかったことなど、人間としての尊厳がすべて奪われていた事実は衝撃で、人間はこれほどまでも残酷になれるのかということを思い知らされました。これは決して過去の出来事ではなく、私自身も状況や立場が変われば、誤った法律やルールであってもそれを守り施行することが正義であると何の疑いも持たず行ってしまう可能性があるということです。私たちは過去の人間の愚かさに学び、常に人権感覚を更新し続けることでのみ、偏見や差別に気づくことができるのだと思います。