12月7日(水)~8日(木)の間,本校は2年団が修学旅行を実施しました。当初の計画では,5月に実施予定でしたが,感染者数の増加とアラートの関係で,延期になっていました。今年は11月10日に人権学習の大きな公開研究会がありましたから,延期の場合は12月しか選択肢がありませんでしたが,実際に延期が決まってからは,新型コロナウイルスの状況もさる事ながら,12月ということでかなり寒いのではないかと心配していました。しかし,当日は2日間とも快晴で思ったほど寒くもなく素晴らしい旅行日和でした。天候に恵まれたこの旅行に私も連れて行ってもらったのですが,1泊2日での広島方面ということで,アッという間に過ぎた2日間でした。教員になってから12~13回目くらいの修学旅行となりましたが,1泊で広島方面というのは初めてでした。もちろんコロナ禍のせいで,本来なら沖縄方面へ2泊3日(昔は北九州方面へ3泊4日が平均的でした)のはずだったのですが,縮小となりました。
この学年は,小学校6年生の時も従来の訪問先である京阪神へは感染拡大の影響を受けて行くことができず,四国内の旅行だったと聞いています。生徒には,旅行の思い出の深さは,目的地までの距離や宿泊数に比例するものではない!と,「修学旅行のしおり」の中でも述べました。現に子どもたちは,仲間と共に過ごした35時間余りの時間を十分満喫できたようでした。そして今回の修学旅行の「修学」のメインテーマである,『平和』についての学びも,語り部さんや資料館の見学を通して,また7月に植樹した「被爆アオギリII世」の元祖である「被爆アオギリI世」も見学でき,昨今の世界情勢とも相まって,平和の尊さを「自分ごと」として捉えることができたのではないかと思います。私事ですが,私は8月6日生まれなので,昔から広島には縁を感じていました。幼少の頃より誕生日の朝は,いつもテレビから流れる平和公園の中継から始まりました。従兄弟が一時期広島に住んでいたこともあって,山陽新幹線ができるずっと前から,広島は度々訪れていました。高松から宇高連絡線で宇野に着いて,そこから岡山まで鈍行列車で向かい,岡山から広島行きの特急列車(しおじ号)に乗って,徳島からだと7時間以上かけて行っていましたので隔世の感があります。バスで本校を朝7時に出て,途中休憩を挟みながら,平和公園の国際会議場でお昼のお弁当を食べましたから,本当にすぐ着いた感じです。徳島には常駐するバスガイドさんは今はいませんが,旅行会社が県外から手配をして,どのバス(4台)にもベテランのガイドさんが乗務してくれ,道中のポイントごとに説明をしてくださいました。(今はバスの中でカラオケ等もなく,感染対策として話もせずに黙ってDVDの映画を見る,というのが修学旅行や遠足におけるバスの中の風景となりました)多くの子どもたちにとって,瀬戸大橋を渡ったのは初めてではなかったと思いますが,ガイドさんから丁寧に瀬戸大橋の歴史やそれぞれの橋の特徴を説明していただきました。その時私は,教員になった1年目に最後の運行となった超満員の宇高連絡船に乗りに行ったことや,瀬戸大橋線ができて,重量検査のためにJRにとっても最初で最後となる電気機関車(ブルートレイン等の先頭の機関車)ばかりを11両編成にして瀬戸大橋がどれくらいたわむかの走行実験があった際(誤差は計算値と30cm以内だったようです)に,その車両が到着する宇多津駅のプラットフォームに全国から集まった鉄道ファンがカメラを構えて鈴なりになっている中で,私もその内の一人としてポジション取りに必死になったこと等が,バスの窓から瀬戸内の島々をながめながら,次々と思い出されてきました。本当に天気もよくて,瀬戸内海のキラキラと輝く水面を見つめて,新米教員だった頃にタイムスリップしていました。
そこで今回のタイトル曲です。単純な私(説明するまでもなく,もう皆様十分ご存じ<笑>)は,たまに長時間,バスに乗ると(ハイウェイバスでも)いつもこの曲が脳裏を駆け巡るのです。今から48年前のリリースで,私が中学生になった頃,大ヒットしたご存じ(と言っても何歳くらいの以上の方々でしょうか?)『岬めぐり』です。この曲には私にとって特別の思い入れがあります。それは,歌詞の内容はまさに失恋ソングなのですが,それが歌詞のイメージとは違って,とても軽やかなリズムに乗って歌われていたことと,何と言っても曲のイントロがソプラノリコーダーの演奏で始まるのところが衝撃的(!)だったのです。https://www.youtube.com/watch?v=tf6T5XFR5MU 当時私が好んで聴いていたフォークソングでは,もちろんフォークギターがメインの楽器で,この曲もフォークギターで演奏されてはいるのですが,イントロや間奏,そして最後に流れるリコーダーの音色が何とも印象的です。当時からミーハーな私は,フォークギターに憧れましたが,そんなモノはとても買ってもらえるはずもなかったため,リコーダー(ソプラノリコーダー)の前奏で始まるこの曲が大ヒットしたので,小学生の頃から慣れ親しんだ縦笛(ソプラノリコーダー)なら多少吹くことができたため,音符を必死でコピーして練習しました。(レミシ--レシソミ--シシラ--シラソシ--ソ #ファ ミ-- #ファ ミレレシ--ラ-シレシレシソ-たぶんこれでOKだと思います。赤字は下の方のソとミです。高い♯ファは指使いが少し難しいです。リコーダの指の当て方は,ネットに出ています)中学校では当時(現在でも)アルトリコーダーが中心ですが,私はアルトリコーダーはさして練習もせず,音楽室に行ってもひたすらソプラノリコーダーでこの『岬めぐり』の前奏を練習していた時期があり,音楽のF本先生から「何,変な曲吹っきょんで?(吹いているの?)課題曲を練習せーって言よーだろ!(練習しなさいって言ってるでしょ!)」「変な曲ではありません」「なに?アンタは反抗期で!(あなたは反抗期なの?)」「わかりません」「ゴツン!」(頭をゲンコツで叩く音!)ということを鮮明に覚えています(爆笑)。F本先生,懐かしいなぁ。よく怒られたけど,何故か修学旅行でツーショットで写真撮ったのもいい思い出です。そんな(どんな?)『岬めぐり』ですが,バスに乗った時に思い出すだけでなく,今年は夏にこれを歌っていた山本コウタロウさん(「走れコウタロウ」も有名)がご逝去されたこともあって,度々聴く機会がありました。作詞した山上路夫さんから詩を受け取ったコウタロウさんが,その歌詞がとても気に入り,一夜で曲を仕上げたのは有名な話です。そして,この歌詞の岬はどこだろう,ということが長年謎だったのですが,これは三浦半島ということで京浜急行久里浜線の三浦海岸駅では,電車が近づくとこのメロディが流れているんですよね(現在はどうかわかりませんが)。学生時代ミーハーな私(もう十分わかった!?)は,そこへ一人で行って三浦半島を巡るバスに乗りました。きっかけは失恋だったかな・・(苦笑)。
話がいつものように(!) 脱線しすぎましたが,平和公園の次に訪れた宮島も夕日に映えて,改修工事が終わったばかりの大鳥居がとても美しかったです。(屋根は25年ぶり,塗装は15年ぶりという大改修で,つい最近工事の囲いが外されたばかり)生徒の自由行動もあった宮島を後に,フェリーに乗った時はもう日が沈んでいました。そして,いよいよ宿泊先のホテルです。宮島のフェリー乗り場からすぐの場所で(宿泊客には宮島に渡るホテル専用の船をホテルの敷地内から出してくれるそうです)豪華なホテルでした。かつての大部屋に7人~10人もが泊まる修学旅行の風景はもうありません。昔はアレルギー対策で,そば殻入り枕を変更してもらっていた時代の修学旅行は若い先生方にはもう無縁なんでしょうね。そんな話をしたら「枕投げをしても心配ないようにですか?」なんて質問されるかも(笑)。そして,いよいよ朝早くから起きて,今日一日,よく歩いた子どもたちにとって,お楽しみの夕食です。コロナ禍でもあり,バイキング形式ではありませんでしたが,その豪華さ!に目を見張りました。昔を懐かしむのは歳をとっただけでなく,時代の流れについて行けていない証拠だ!とある本に書いてありましたが,本当に時代の流れを感じますが,子どもたちにとってはとても良かったと思います。(ご飯も味噌汁もおかわりをOKでした)この日の夕食は,ご家族のみなさまより豪華だったのではないかと思います。(そんなことありません,というご家庭がありましたら申し訳ありません。一応写真を載せておきます<笑い>)。
たった1泊と言っても,学年団の綿密な計画もあって,大変充実した修学旅行でした。子どもたちの脳裏に深く刻まれ,そして,将来この地を訪れたときに,中学2年生のこの修学旅行の思い出が沸き立つようによみがえることと思います。最後に今回「修学旅行のしおり」に掲載させてもらった,私の「修学旅行に寄せて」を転記いたします。
修 学 旅 行 に寄せて
~「百聞は一見にしかず」の続き~
富田中学校長大泉計
皆さん、待ちに待った修学旅行です。なかなか終息の見えないコロナ禍において、当初は沖縄方面が予定されていましたが、行き先が広島へと変更になりました。また、当初5月実施の予定でしたが、あの頃は新型コロナウイルスの株も今とは違い、感染状況により、やむなく12月まで延期となりました。皆さんは、小学校6年生の時もコロナの影響を受けて行き先が四国内になったと聞いています。しかし、思い出の深さというものは、目的地までの距離や宿泊日数に比例するモノではありません。家庭や学校を離れた普段と違った環境の中で、友と語らい、協力し合いながら見聞を広げることで、中学校生活3年間の中でも、トップクラスの思い出づくりができるものと期待しています。
さて、「修学旅行」と一言で言いますが「修学」とはどういう意味か考えたことはありますか?大辞林を見ると、修学とは「学問や知識を学んでおさめること」と出ています。今回の修学旅行において、皆さんが学んでおさめるテーマは「平和」です。今この瞬間も世界のある場所では戦争状態が続き、いつ核爆弾が使用されるかわからないという恐怖を感じながら、私たちと同じ一般の人たちが生活をしています。そんな核爆弾が世界で最初に使用された場所で、「語り部さん」から生々しいお話を聞き、そして当時の遺留品や記録が残る平和記念資料館で核爆弾の恐ろしさを実感し、中学2年生の皆さんがしっかりと平和について、今まで学んできた知識をより深く脳裏に、そして心におさめてきてください。皆さんが富田中学校の2年生の教室前に植樹した「被爆アオギリ2世」の生みの親である、実際に被爆した後、今日まで生き続けている「被爆アオギリ1世」もよく見てきてください。実は私は8月6日生まれなんです。(原爆投下の年に生まれたわけではありませんが)それで、昔から広島には縁を感じていて、小さい頃から誕生日の朝はテレビをつけると、いつも広島の平和公園からの中継が流れていました。新幹線が開通する前から度々訪れ、今では知り合いの先生も多く、コロナ禍になるまでは20年以上毎年夏か冬に訪問していました。徳島と同じく「島」のつく県(島がつく県は全国で5県)という親しみもありますが、中四国最大の政令指定都市である戦後大発展を遂げた広島市は、鉄道ファンの私にとっては、全国で廃止になった路面電車を当時のカラーリングのまま走らせている広島電鉄が大のお気に入りです。是非バスの中から見てみてください。近代的な3両編成や海外から輸入した(もちろん現地で走っていた塗装のまま)路面電車も走っています。
そこで表題です。誰でも知っている「百聞は一見にしかず」ですが、これに続いて「百聞は一考にしかず」「百聞は一行にしかず」「百聞は一効にしかず」「百聞は一幸にしかず」・・など、後世になっていろいろとこの有名なことわざに付け加えられたらしいのですが、要は聞くだけでなく十分見て、見るだけでなく十分考えて、考えるだけでなく行動を起こして、行動を起こすからには成果を上げて、成果を上げてもそれが幸せにつながらなければ意味がない、という教えです。原爆ドームや平和公園、宮島など、今まで写真で何度も見たものを現地で実際に目にして、平和の尊さや素晴らしい自然や文化に触れることのできるこの修学旅行の体験が、将来において皆さんの幸せにつながることを願ってやみません。
最後に、集団生活の中で仲間を思いやり(友愛)、周りを見て行動し(自律)、仲間と助け合い、支え合いながら共同生活をすること(互敬、互譲)、によって、より一層思い出深い修学旅行になりますから、旅行先でも校訓の精神を忘れず、富中生であることに誇りをもって行動してください。万全の体調で、楽しく有意義な修学旅行にしましょう。