3月11日,我が徳島市富田中学校で第75回卒業証書授与式を挙行しました。素晴らしい晴天に恵まれ,梅の花もほころび,西日本一を誇る広大な本校の敷地にも春の訪れがあちこちに感じられるようになった本日,132名の卒業生は,りっぱに巣立っていきました。昨年同様,新型コロナウイルス感染拡大の影響で,在校生は送辞を述べた生徒会長のみの出席となり,来賓も参加をご遠慮いただいての式となりました。十分な間隔を取って、換気をしながらの体育館でしたが,幸い例年より暖かく寒さもさほど感じることなく,式典に臨めました。今日まで,限られた時間で入念な準備を全ての教職員が総がかりで行いました。現在,徳島県では,感染拡大の影響を受けて部活動の実施が制限されており,平日でも練習ができない状況が続いています。例年なら,部活動の生徒に大勢体育館設営を手伝ってもらえるところを,今年は最小限の人数しか作業に関わってもらえませんでした。それでも短時間で黙々と準備をしてくれて,体育館の外回りも見違えるほど綺麗に清掃をしてくれました。在校生からお世話になった先輩への思い,そしてこの伝統をこれからは自分たちが引き継いでいくんだ,という強い意志が伝わってくるようでした。
今年の卒業生は,期待に胸を膨らませて入学してきた中学1年生の3学期頃から,新型コロナウイルスの影響を受け始め、臨時休校も相次ぎ,2年生の時は総体も中止となり,校内の行事も運動会以外,ほとんどできていません。2年生でいくはずだった修学旅行は早々に3年生へ延期し,その3年生でも1度延期した後,結局中止となってしまいました。しかしながら,その代わりとして急遽,県内の鳴門方面を回った校外学習で,帰って来てバスから降りるなり,満面の笑みを浮かべながら「楽しかったぁ」と口々に言ってくれる子どもたちが愛おしくてたまりませんでした。そんな子どもたちに,行事を中止にしてしまうだけでなく,現状の中からできることを何とか摸索しようという雰囲気が我々の中に自然発生的に生まれたのは,子どもたちから学んだ一つの成果でした。これから,予測不能な社会を生き抜いていく子どもたちに,「これからの勉強は,正解を覚えるのではなく,限られた条件,すなわち制約条件の中から,その場に最も適した,最適解を導き出せる力を養うんだよ」と言っている私たちが,まずは実践して見せなくては説得力がありませんから,一段と力も入りました。そんな中で試行錯誤しながら実施した文化祭や,運動会,遠足等、学校生活の多くの場面で辛抱と我慢を強いてきてしまった子どもたちの心の中に、少しでも富田中学校での思い出を残して欲しいと思った1年間でした。そんな思いもあって,今日の卒業式は,私だけで無く,3年学年団を中心に,みんなが最高の卒業式で送り出したいと思っていましたが,想像以上でした・・。入場から始まって,返礼一つとっても全員が,気持ちを合わせて厳かな中にも大変温かみの感じるものでした。卒業生代表の答辞が始まると,私は立場上,壇上にあがって聴かせてもらうのですが,冒頭から目頭が熱くなりました。すでに,教員席のY教頭をはじめ学年団は感極まっています。そして,ほぼ全文を読み終え、代表の女生徒が,今日の日付と名前を言って終わるのかと思った瞬間,本校伝統の校歌より先に誕生し,総体などの応援だけでなく,受検前にも在校生が歌う「応援歌」をアカペラで歌い始めたのです。応援歌2017.12.14.mp3 そして2フレーズくらい進んだ頃から,卒業生があちこちから一緒に歌い始めたのです。もちろん卒業生は答辞の内容は当日まで知らなかったわけですから,自然に歌い始め段々とその歌声が大きくなっていきました。もういけません(!)教員席はたいへんな事になっていました・・。いろいろと我慢ばかりさせてきた子どもたちから,逆にこんな幸せな気分を味わわさせてもらえるなんて。言葉が安っぽいかも知れませんが,まさに「教師冥利につきる」というものです。最近,教員の希望者が減り続けているようですが,こういう感動を味わえることを何とか伝えてあげたいものです。
いまだ感動が冷めやらず,ついつい,いつもの調子でダラダラと書いてしまいましたが(卒業式に関係なくいつもだろ!という声が聞こえてきますが,お許しください<笑>),卒業式が一端閉式した後,子どもたちから,最後の歌のプレゼントがありました。その曲は「群青」。震災2年後に作られた歌だそうで,私もよく知らなかったのですが調べてみて,大変感動しました。ご存じのように,11年前の3月11日は,徳島県のほとんどの中学校で今日と同じ卒業式が行われました。私もハッキリと,当時のことを覚えています。それを詳しくお話しするのはまた,別の機会にするとして,本校のY教頭先生は徳島県の教員の代表として,現地へ災害復興ボランティアとして参加した素晴らしい経験をお持ちです。私も震災直後に,子どもたちと150台以上の手回し発電機付きラジオを子どもたちからのメッセージカードを添えて,いろいろなところにお願いして,現地へ送り届け,その後,いくつもの学校からお礼状をいただいたりしたこともあり,自分としては3.11を大事に思っているつもりです。そんなこともあり,子どもたちが保護者の方に向いて歌ったこの歌は,またまた感動でした。私の式辞にも最後にワンフレーズ,この歌の歌詞を入れさせてもらいました。
卒業式が終わって,生徒や保護者が学校を去った後,屋上に掲げていた国旗と校旗を半旗にして,午後2時46分には,全教職員で黙祷をしました。私が鉄道が(も)好きな事は今までこのコーナーをお読みいただいた方は多分ご推察いただいているかと思いますが,私は三陸鉄道が開通した年に現地へ乗りに行って(当時はラグビーで新日鉄釜石がV7をしていて〔知っている世代は私より上?〕釜石で降りて会社の門の前で写真を撮りました。徳島から来たと守衛さんに言うと驚かれたのが懐かしいです)そのリアス式海岸の景色の美しさに感動しただけに,震災直後の状況には目を覆いたくなりました。それが年月をかけてまた復興したことに「あきらめない気持ち」の大切さを改めて教えられました。そこでこの切符です。普通は,徳島駅の入場券(先日の22-2-2の日に思いついて夜8時過ぎに徳島駅まで買いにいきました。ヒマ~<笑>)のように 「当日限り有効」と書いてあるところに「あきらめない限り有効」と書いています。三陸鉄道が復活したときの記念切符で,私の大事な宝物の一つです。今年の学校行事を考える時も,何度かこの切符を見つめました。
ということで,最後は本日,卒業生に送った私の式辞です。ご来賓の挨拶がないのをいいことに(!?)長々と,とりとめもないことを書いてしまいました。でも健気に頑張った卒業生を思うと,ついつい駄文が止まらなくなり・・。内容は全然たいしたことありませんので,ただでさえ今回はここまで(いつも以上に)長くなっているので,スルーしてください。アッ,忘れてました。標題の曲です。中島みゆきさんのデビュー2曲目の名曲(これがデビュー曲とよく勘違いされるらしいです)「時代」https://www.youtube.com/watch?v=Ry_bpaKDcAo
です。今日の式辞に歌詞の一部を引用させてもらいました。「40年以上前の曲ですが,よくカバーされているので皆さんも聴いたことがあると思います・・」なんて話したのですが,卒業式が終わってから,本校の教員に「たぶん知っている子どもはいませんよ!」と言われました。ゴメンナサイ(苦笑)。
卒業生の皆さん,保護者の皆様,本当に本日はおめでとうございました。
式辞
厳しかった冬の寒さもやわらぎ、富中の広大な敷地のあちこちから春の息吹が感じられる、今日の佳き日、
保護者の皆様に ご臨席いただき,徳島市富田中学校 第75回 卒業証書授与式を挙行できますことは、
私たち教職員、在校生にとりまして、大きな喜びでございます。
本日、徳島市富田中学校を巣立ちゆく
卒業生132名の皆さん、晴れのご卒業,誠におめでとうございます。
保護者の皆様におかれましては,3年前の入学時を思い起こし,立派に成長した姿に,喜びも格別なものがあるものと拝察いたします。多感な中学3年間,いろいろな事があったと思われますが,これまでのご労苦に敬意を表しますとともに,高いところからではございますが,お子様のご卒業を心からお慶び申しあげます。
さて,卒業生の皆さん,今皆さんに授与いたしました卒業証書は,中学校3カ年を学び終え,中学校の全課程を修了したことの証です。
これまで皆さんを教え,導いてくださった保護者の皆さまをはじめ,御家族や地域の方々,先生方など,全ての方々に感謝の気持ちを持ち,卒業証書に込められた期待や願いを受け止めてほしいと思います。
今日は,多くの在校生やご来賓の方々が参加できなかったり,卒業生の皆さんの心のこもった歌声もその全てを聴くことはかないませんが,皆さんの卒業をお祝いする気持ちや,輝かしい未来へエールを送る気持ちに,開催規模の大小は関係ありません。
新型コロナウイルスの感染は,まだまだ先行きが不透明ですが,思い起こせば皆さんは富田中学校に入学した1年生の3学期頃から,ずっとこの感染拡大の影響を受け,学校行事が縮小されたり,延期になったり,中止されたものも少なくありませんでした。学校生活でも様々な制限があり,多くの事を辛抱しながらの中学校生活だったと思います。しかし,皆さんは本当に良く辛抱し,我慢して,そのような中でも友との友情を育み,かけがえのない思い出を多くつくってくれたものと思います。
私と皆さんの出会いは4月の着任式でした。この体育館で落ち着いた雰囲気の中で,マスクを通しても皆さんが温かく迎えてくれている雰囲気が伝わってきて,とても安心し,素敵な学校に着任できた喜びを感じたのがついこの間のように思い出せます。そんな皆さんに,修学旅行が実施できなかったり,部活動の大会も無観客の中でしか開催できないなど,辛い思いをいっぱい味あわせてしまいました。誰が悪いのでもないとは言え,本当に,私も悔しい思いの連続でした。
しかしながら,そのような中で,今年は昨年できなかった文化祭を皆さんは,様々な制約条件の中で,りっぱにやり遂げてくれました。最上級生として,各クラスが一致団結して取り組んでくれた,富田中学校としても初めての開催方法の中での文化祭は,皆さんの素晴らしい笑顔と共に,本校の歴史に大きな1ページを刻んでくれました。決してあきらめない気持ち。私も皆さんから多くの事を学びました。運動会や中学校最後の遠足でも,開催時間や種目数,目的地までの距離に関係なく皆さんは,仲間や先生方と中学校時代の素晴らしい思い出をはぐくむと共に,挨拶や清掃の態度,生徒会活動など,後輩達に良き手本を示してくれました。
誰も経験したことのない,コロナ禍のこのような時代に,多感な中学時代を過ごした富田中学校での生活は,1年間に夏と冬の両方のオリンピックが開催されるといった世の中の出来事と共に,忘れがたいものとなることでしょう。
シンガーソングライターの中島みゆきさんのヒット曲に,「時代」という名曲があります。40年以上前の歌ですが,たくさんカバーされているので皆さんも聴いたことがあると思います。その歌詞の中に「そんな時代もあったねと,いつか話せる日がくるわ。あんな時代もあったねと,きっと笑って話せるわ」というフレーズがあります。皆さんが,20年後,30年後,世の中の中心になって活躍している頃,そして自分の子どもが今の皆さんと同じくらいになった時,保護者の皆さんに掛けた苦労を実感すると共に,今のこの時代を思い出して次の世代に語って欲しいと思います。
この1年間だけを振り返っても皆さんとの思い出は尽きません。そんな皆さんに私から最後のお話をします。皆さんがこれから生きていく未来は,希望にあふれ輝いて見えているかと思いますが,AIが一層発達して,自動化がどんどん進む,ソサィアティ5.0と呼ばれる,超スマート社会は,生活が便利になってもそれだけでは,決して十分な幸せを享受できるとは限らないかも知れません。
11年前の今日、東日本大震災が起こりました。あの日も今日と同じく,この体育館で卒業式が行われました。いきなり起こった未曾有の大惨事。そして,誰も予想できなかった今回の新型コロナウイルの感染拡大。また,この21世紀の現代に,地球上のある地域で子どもを含む無抵抗な人達が戦争で命を奪われるという,信じがたいことが起こっていることは皆さんも知っているとおりです。このような,予測不能な事が起こりうる社会を皆さんは生き抜いていくことになります。
しかし,どのような時代がやってこようとも,人が幸せに生きる,生きたいという欲求を満たすためには,人としての「思いやり」のある「美しい心」なくして人類の幸せはやってこないと思います。
昨日の朝刊に、「パワーポイントを使ったプレゼン作成」で世界一になった日本人学生の記事が出ていました。その人は「デジタルでも必要なのは,アナログな真心です」と言っています。深い言葉だと思います。これから,人を思いやる心を持ち続けて生きていけば,皆さんの周りには必ず,皆さんを支えてくれる仲間の輪ができます。
富田中学校で過ごした皆さんは,3年間,常に校訓の「友愛自律互敬互譲」を意識しながら,生活してくれました。友を大切にし,自分を律し,人を敬い,人を思いやるこの素晴らしい校訓を是非,今後の人生においても大切に持ち続けてくれる事を願っています。
終わりになりましたが,保護者の皆様には,本日まで本校の教育活動に,温かいご支援とご協力を賜り,誠にありがとうございました。コロナ禍ということで,十分な学校行事の公開もできませんでしたが,そのような状況の中でもこうやって,無事卒業式が迎えられましたのも保護者の皆様のご理解あっての事です。本当にありがとうございました。今後とも本校の応援団として,富中を見守っていただければ幸いです。
卒業生の皆さん,いよいよ巣立ちの時が近づいてきました。
今旅立つ日見える景色は違っても
遠い場所で君も同じ空きっと見上げているはず
(本日卒業式後に卒業生が歌った「群青」の歌詞の一部)
みんなでもうしばらく我慢し,辛抱して,今の状況を無事乗り越えられたことを誇れる日が必ずやって来ることを信じ,卒業生132名の限りない前途を祝して,式辞といたします。
令和4年3月11日
徳島市 富田中学校長 大泉 計