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徳島市富田中学校

♪ 古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた ♪

5月27日(金)に本校では,前日夕方から降り続いた豪雨に開催が危ぶまれた「富田中学校大運動会」(本校では伝統として「運動会」の

名称が引き継がれています)が開催されました。今回は,その運動会の様子をご紹介するのですが,それにしてはタイトルが(?)と思われたかと思います。この曲はご存じ「涙(なだ)そうそう」
名称が引き継がれています)が開催されました。今回は,その運動会の様子をご紹介するのですが,それにしてはタイトルが(?)と思われたかと思います。この曲はご存じ「涙(なだ)そうそう」https://www.youtube.com/watch?v=xxk7AXc5qB4の最初のフレーズです。あっ,5月1

5日の「沖縄復帰50周年」の沖縄が本土に復帰してから50年という歴史的節目を迎えたわけですが,それと運動会が何か関係でも?とまで,このタイトルを気にしていただいた方は希有だと思いますが,それは関係ありません。ただ,沖縄のニュースや記事が特集され,自分なりに沖縄について考える時間が持てました。復帰の年は私は小学校4年生で,当時は同じ年の3ヶ月前にあった「札幌冬季オリンピック」の方がはるかに印象が強く「笠谷,金野,青地,日の丸飛行隊,ジャネットリン・・」止めておきます(笑)。ただ,今回自動車の通行が右から左に一斉に変わるところの当時のニュースを見たとき,ハッキリとこの場面は当時見たことを思い出しますし,実家には復帰記念の記念切手のシートが残っていて,少しずつ当時の記憶が蘇りました。ニュース報道で沖縄の本土復帰50周年のことが流れ出してからは,校長室のスピーカーからは,先生方がほぼ帰られてから,タイトルの「涙そうそう」や「島人(しまんちゅう)の宝」「さとうきび畑」が流れていました。こう言うと,ミーハーな選曲に聞こえるかも知れませんが,それぞれ,沖縄戦をもとに平和教育の授業をしてきた際,よく授業の中で生徒と共に聴いた曲です。「さとうきび畑」は,フルコーラスだと11番まであるため,テレビなどで森山良子さんが歌っていた,1,2,3,8,11番のバージョンで,全曲は歌詞を配って「また機会があったらフルコーラスで聴いてね」と話していました。今なら,YouTube等で簡単に聴けるんですけどね。
さて,本題です(前振りの長さは習性ですので,お許しください<苦笑>)。5月27日に予定していた運動会ですが,5日くらい前から,かなり

雨の確率が高い,

延期した場合の月曜日も降りそう・・という話で職員室は持ちきりでした。しかし,様々な想定をして,練習や準備にも意見を出しあい,まさに「制約条件」のなかでの「最適解」を求める姿勢,体育教師として,また本校のグランド情況や,保護者の意識や,通知のとらえ方を熟知している副校長が即座に頭の中でできあがるフローチャートに沿って,体育主任を始めとした体育教師,そして生徒指導主事が意見を出し合う光景は,一番仕事をしていない私から見ると,大変見応えがありました。まさに令和の日本型学校教育を通して,子どもたちに身につけさせたい力そのものです。多様性を認め合い,個別最適な学びや,協働的な学びをくり返しただけで,将来このような課題解決能力が備わるか?それには,その学びをまずは我々教師が実践できなくては絵に描いた餅になってしまうと思うのです。まだまだ先行きの不透明なコロナ禍において,管理職はもちろんの事,先生方も多くの経験を積まれていると思いますが,本校でも様々な判断をした際に,その根拠とした事やそこに至るプロセスをできるだけ先生方に伝えるようにしています。そうすることで,先生方が,今おかれた状況下における判断を「自分ごと」として捉えることができ,それが子どもたちへ少なからずフィードバックされるものと思います。大切なのは,正解を探すのではなく,「最適解」を導き出す力です。鼻歌を口ずさみながら,職員室に笑いを届け,ムードメーカであるY副校長の類い希なスピード感のあるフローチャートの作成力に,新型コロナによる休校措置が学校判断になってからというもの,殊更感心しています。この「スピード感」というのは,自分自身の反省でもあるのですが,とても重要で,なおかつ一朝一夕で身につくものではありません。私は若い時からいつもダラダラと学校に残って仕事をしてきて,校長と呼ばれるようになってからも幸いなこと(!)に,本校がそうであるように,校長室が職員室から離れている学校ばかりなので,つい,いつまでもくつろいでしまって本など読み出すと,時間を忘れてしまします。

それもこれも,家に帰ってご飯をつくるわけでも,洗濯をするわけでもないからで,同業者の家族からは「いいよな,私やって,学校に残って仕事がしたい!」と昔はよく言われたものですが,最近は諦めたのか全く無視されています(笑)いえいえ,マグマがたまって,いつか大噴火するかも知れません(冷汗)。スミマセン,話がそれてしまいました。今回前日の子どもたちが帰るまでは雨は降ってい

ませんでしたが,その後降り出すことはわかっていたので,テントやネットは立てず,全て翌朝に情況を見てセッティングということにしましたが,予報通り,夕方から結構な振り方で,20時を過ぎる頃には叩きつけるような降り方でした。すでにきれいに整地した運動場は,一面に水が浮いている情況でした。夜中には止むと天気予報では言っていたので,その後風が吹いて乾いてくれるといいののに,と願っていました(学校を出る前に事務室に入ったら,てるてる坊主が置いてありました)。延期の選択以外に,1時間遅れの開始のスケジュールもみっちりと組み上がって,職員にもそのパターンの連絡もしており,保護者向けメールの文面作成も副校長が何度も練り直してできあがっています。できる事なら延期にしたくないなぁと思いながら,夜中に雨の止んだのを確認してから,一縷の望みを抱いて私は就寝しました。翌朝,運動場を確認すると生徒が競技するトラックやその内側には全く水たまりは見られません。ただ,8時間以上にもわたっての大雨で,相当の水分を吸い込んでいるわけですから,歩くと足が沈んでくっきり足跡が残る部分もあります。リレー競技だと,滑って怪我をする恐れもあります。ただ今日の天気は快晴,最高気温も29度との事(今度は,熱中症対策が重要となってきます)。それらを加味し,生徒の安全を第一に考えて,開始時間を1時間遅らせ(それでも昼食に支障をきたさない時間には下校可能)運動

会を開催する旨を,全保護者に一斉メールをしてもらいました。これを決めた時点で開会式まで4時間ありましたから,想定通り,その頃には運動場の表面もほぼ問題ない情況となりました。私は開会式の挨拶の中で,「昨日の雨の降り方からして,今日の開催は難しいのでは,と思っていた人は多かったと思います。皆さんのやる気と先生方の熱い思いが,まさに天に届いたのでしょう。そしてみんなの先輩が大切にしてきたこの運動場の素晴らしい水はけの良さのおかげです。本当に良かったです・・・。」という話をしました。本当にこの広い(中学校の敷地としては西日本一と言われています)だけでなく,水はけの良さ,この情況

を守ってきてくれた先輩に心から感謝の気持ちでいっぱいです。今年赴任した先生方も,今まで以上に,朝に夕に整地をしてくれています。その本校の先輩に思いを馳せることも多いのですが,私がバイブルのように読んでいる,「富田中学校50年史」とは別に,校長室には昭和28年頃からの卒業アルバムが残っています。昭和30年前後のはクラス写真と一部学校の風景が載っているような体裁ですが,昭和35年頃からは卒業アルバムとして,行事や修学旅行の様子も掲載されています。これらは大変貴重な資料だと思います。それらを最近,よくに手にして見ているのですが・・。これがタイトルのフレーズに結びつきました。学校ができた頃,全校生徒での石拾いが日課で長い月日をかけて,広大な敷地が運動場らしくなってきたこと,その先人のご苦労にアルバムをひもときながら,今回の運動会が開催できたことで改めて,心の中でお礼申しあげた次第です。「涙そうそう」の森山良子さんの歌詞が意図したものとは違いますが,沖縄の本土復帰50年から,本校の運動会が10日余りしか経過していないこともあって,お許しいただけたらと思います。
さて,運動会の方は,平日にも関わらず,早朝より多くの保護者の方が観戦してくださいました。これも敷地に余裕がある本校ならではです。各家庭1名まで,等という制限も設けませんでした。御家族でお越しだった方もいらっしゃるかと思いますが,受付をずっと担当していただいた事務室の先生方や教務主任によると,287名の来校者だったようです。ちなみに本校の世帯数は351です。向かいの児童館からは,今年も応援ボードを掲げてくれました。(終了後お礼に伺うと,小学校の頃,ここへ通っていたあの子達が中学生になって,きびきび行動している様子が見えて感動しました,と言ってくださいました。) 屋上に掲げられた,各クラスの学

級旗も,短時間でよく仕上げられたなぁ,と思える力作そろいでした。そし

て,国旗,校旗と共に,昨年制定された本校のマスコットキャラクター「とみー」の旗も新調して,掲揚しました。
密を避けるため,どうしても競技種目は限られますが,大変盛り上がりました。また,昨年は,急遽,3年生だけにお願いした,クラスごとの応援も全学年が取り組んでくれてとても素晴らしかったです。なかでも3年生は,昨年先輩を見ていただけに,最後の運動会で素晴らしいパフォーマンスを見せてくれました。また良き伝統として受けつがれていくことでしょう。気温が上昇してきて,マスクは原則外して競技するように伝えました。体調不良になる生徒が続出するのでは?と心配もしましたが,こまめに給水を指示してくれたからか,救護用テントに来る生徒はほとんどいませんでした。少し時間は押したものの,競技種目を減らしての半日開催と思えないほど,達成感がありました。下校する子どもたちを校門で見送りましたが,疲れている表情の生徒は多かったですが,みんなにこやかに挨拶をして帰っていきました。
4月に予定していた,PTA総会,参観授業を本校は,新型コロナの感染状況(家族の感染が増えだした)から,中止にしました。徳島市内の学校では実施したところも多かったようですが,家族の感染が増えてきたため,直前に迫った3年生にとっては最後の選手権大会に出場できない事態だけは避けたかったことが大きな理由です。そのため,新入生の保護者の皆さんは中学校での生活ぶりを見る機会が今までなかったので,今回多数の方が来校してくださったようなのですが,ひたむきに頑張る姿,クラスの団結力を感じさせる場面等見ていただき,手前味噌ですが,ご安心いただけたのではないかと思います。そして,今年は,生徒指導主事が綿密な計画を立てて,子どもの選抜リレーと一緒に教職員チームも多数が出走(!)しました(私は老体を心配いただき,1

0mくらいでしたが<笑>)。この様子からも

,本校の教職員の仲の良さも見ていただけたかと思います。本当に本校の教職員は年齢や経験値に関係なく,とーっても仲良しです。校長がこのように,かる~い(!)と,教職員が心配してか,一致団結する好例だと思います。本当に先生方には感謝しています。毎日,校長が「しょーもないこと」を近くで話しても,笑顔で相手をしてくれます。「仕事の邪魔!」と思ってもやさしく接してくれる本校の教職員に指導される生徒は,「高齢者福祉」に関する意識は大変高いと思います。先生方には,熱い中連日練習等,頑張ってきた行事がひとつ終わり,ホッと一息していただくと共に,梅雨入りも控えて体調には十分気をつけて,中部ブロック大会(総合体育大会地区予選)の始まる6月も頑張って,笑顔で子どもたちを支援していただきたいです。
最後にオマケです。(ですので無視していただいて結構です)前回,「茶摘み」の文部省唱歌のSP盤(78回転)をオークションで買ったので,また蓄音機でかけた音をお聞かせいたします,と言いましたのでよろしければお聴きください。
 最後にオマケです。(ですので無視していただいて結構です)前回,「茶摘み」の文部省唱歌のSP盤(78回転)をオークションで買ったので,また蓄音機でかけた音をお聞かせいたします,と言いましたのでよろしければお聴きください。茶摘み.mov 大正時代につくられた蓄音機だから,この程度の音かと思われたも知れませんが,これは,盤の状態があまりよろしくなかったので,もう1枚(現在様々なジャンルの曲50枚くだいありますが録音状態は千差万別です)よろしければお

聴きください。
聴きください。インスト.movこれが当時学校で卒業式の練習(明治時代に,原曲とは全く違う日本語の歌詞がつけられたようです)で使われたかどうかはわかりませんが,蛍の光のインストゥルメンタルです。そこそこ聴けますでしょ?鑑賞するときは,針のレコードとの摩擦音を減らすため,

蓋を閉めます。この針は,写真のように,まさに布団針のような針で表裏(A面B面)を一度かけたら,針を90度反転させてもう一度両面かけたら,もう摩耗しているので新しい針に取り替えるのがセオリーらしいですが,私は3倍くらい使ってます(レコードに良くないのだと思います)。電気式のレコードプレーヤ(蓄音機がまだ普通に使われていた頃は,電蓄とも呼ばれていたようです)が家庭からほとんど無くなって(私は家に3台,校長室に1台置いています)久しいですが,よくレコードプレーヤの針が無くなる,なんて事が言われた時期がありましたが,現在でも高級品では,新製品が毎月のように出ていて,蓄音機の針も高級な竹針はなかなか無いですが,このような鉄針は安価で購入できます。ちなみにLPレコードも少数ですが,日本国内でも生産されています。私は2年前に,「中森明菜」(中学生は知らない!?)が多くの曲のカバーをして吹き込んだのを買ったのが最後ですが。ちなみに最近は,中古市場も含めて,CDの売り上げが落ちて,LPレコードの売り上げが増えているそうです。音楽なんて,ダウンロードしてスマホに入れて聴くことが通常のスタイル,という世代がふえていますものね。スミマセン,後半は,私の雑学披露でスペースを割いてしましました。今後もこれで調子に乗って(笑)後半に,趣味の話というか,音楽(オーディオ)に関することを時々書くかも知れませんので,それらが始まったら,ページを閉じていただいて結構です。いつものごとく長々と最後までお目通しいただき,感謝申しあげます。ありがとうございました。