本校は,明治4年6月11日,名東郡寺島本町字北247番地(現在の徳島駅東付近の一帯)に「藩立南小学校」として創立された県下最古の小学校です。当時の通学生が,860余名であったという記録からも,かなり大きな規模で開校したことが想像されます。
昭和22年に「内町小学校」という現在の校名が使われるようになるまでの間「共立南小学校」「洪化小学校」「寺島小学校」等と,10回ほど校名が,改称されたようです。
校地も寺島本町東に,寺島本町西にと移り変わりながら,昭和54年2月27日に,徳島市駅前再開発の計画推進により,史跡である徳島城西の丸の一角に移転,新築されました。体育館西側の石垣は,「ノズラ積み」という特別の史跡なので,そのまま残し,昔日の姿を今にとどめ,児童の通学路として利用されています。当時,校舎は,近代的で明るくモダンに設計された建物として広く知られていました。40余年を経過した今,全面改装を希望する声が聞かれるようになっています。
校区は,新町川・助任川・福島川によって周囲を取り囲まれた極めて明瞭な地形をなしています。わたしたちは,これを「ひょうたん島」と名づけています。また,「内町」は,文字のとおり,徳島市街地の中央部に位置していると言えます。徳島市役所・新ホール建設予定地・徳島東消防署・JR徳島駅・県郷土文化会館(あわぎんホール)・市立体育館・県立中央武道館・徳島中央警察署・地方裁判所等,社会的・文化的な施設が学校から近距離の所にあります。
校区のほぼ中央部にある徳島中央公園や城山は,市街地の中心にありながら,四季折々の自然をよくとどめています。本校は,現在地へ移転してきて以来,「城山に遊び,城山に学び,城山に鍛える」を合言葉に,地域の社会や自然の環境と積極的にかかわる教育活動を展開してきました。
校区には,学識経験の豊かな方々がたいへん多く,教育に関する関心度は非常に高いものがあります。学校教育への理解も深く,たいへん協力的です。内町まちづくり協議会・内町地区健全育成協議会・内町体育協会・自治連合会・社会福祉協議会・児童民生委員会・内町小PTA等,子どもの活動をバックアップする団体が数多く存在しています。ゲストティ-チャ-として,児童の教育活動にかかわってくださる方も多くあります。また,内町小学校PTAの活動もたいへん活発で,自主的な活動ができています。