昭和40年記の校章制定記によると、
こうした要因を結集してつくられたと書かれている。
以下原文を載せます。
明治8年住吉島小学校開設。明治19年福島小学校に合併廃校。
昭和17年8月1日市の行政区劃変更によりにより島が削除されて住吉町となる。
戦後の住吉町には文化的施設と名のつくものは何一つとしてなく、誠に哀れというほか無し、此の時に町を愛する同士と共に我が町に五大文化施設を提唱し、同士の結集と共に推進母体の結成に全町民打って一丸となる。
その施設の一つが小学校の独立再建である。
時昭和31年本町人口四仟人、学童四百人に近し、その必要性を各地区の婦人会、青年会等に呼びかけ賛同を求め、住吉一致会の結成となる。心的、物的、体的の多大なる犠牲と県市理事者の同意により、
昭和三十七年、待望の城東小学校が七十五年振りに、我が郷土住吉町に我等の願望を達成の城として築かれたのである。感無量なるものあり。
城東小学校の校訓、教育方針、地理的、歴史的、敬虔的、瑞祥的な素因を結集し、学校の環境等の構成の要素を総合し、三頭巴を主題としてを円にまとめたものである。
円は拡大し向上し円満に通じ、円月も地球も円に始まる。
児童はすくすくと円満に発達し、学校は益々隆盛に年と共に発展を期する小学校であることを象徴した。
さらに色彩は、優美。落着(地色)明朗(巴色)純潔冷静(文字色)である意図によった。
昭和三十九年九月吉日構成者