地域教材資料

上池かみいけ阿波市市場町大俣字行峰

上池は上井池(うわいいけ)とも上湧(うわゆ)とも呼ばれます。大俣や久勝の田畑を潤す農業用ため池として造られ、大切に守られてきました。上池の貯水量は県内で3番目に大きく、12万平方メートル、水面面積は2.7 haです。上池の歴史は古く、三好市の古池、土成町の浦池と同じく京の都から来た平安時代の役人山田古嗣(やまたのふるつぐ)(798-854年)が造ったとの言い伝えもあります。現在の上池は岩滝用水の水を流し込むなどして、農業用水を満々と湛えています。
2017年、Ciel Terre Japan(シエル・テール・ジャパン)により、太陽光発電の京セラ製の太陽光パネルが5,808枚設置され、「上池水上太陽光発電所」として活用されています。総発電量は1,568 kWです。
大俣小学校は、1年生が上池の土手に花を植えるなど環境整備に協力しています。また、マラソン大会のコースとなったり、オリエンテーリングで全校児童が一緒にお弁当を食べる場所としても使わせていただいています。

山田古嗣は承和13年(846年)阿波介(あわのすけ)に任命されました。
介は守・介・掾・目(かみ・すけ・じょう・さかん)という国司四等官の二番目の位にあたります。当時、京の都で権勢を奮っていた摂政藤原良房 の弟藤原良相(よしみ)が阿波守(かみ)に任ぜられていました。山田古嗣は都にいる藤原良相に代わって阿波国に入り、実質上阿波国の長官として治めていたことが想像されます。山田古嗣は優秀な役人で、日照りに苦しむ阿波郡や三好郡などで用水や池を整備し、民のために尽くした人物として語り継がれています。
今も大切にされている犬墓大師堂 犬墓大師堂犬墓大師堂は旧犬墓村(いぬのはかむら)にある大師堂です。大師は、弘法大師のことです。
犬墓という地名について由来は定かではありません。同じ地名は岡山県犬墓山や和歌山県犬墓などがあります。和歌山の犬墓は、「院の墓」(いんのはか)という高貴な身分の方が亡くなり、祀ったところという伝説もあるようです。弘法大師ご自身が犬を連れて歩いたかどうか文献等は残っていません。東北では犬嫌いだったという伝説もあるようです。一方、真言宗本山金剛峯寺を開くとき、高野で丹生明神と白黒二匹のご神犬に案内されたとの伝承があります。(『今昔物語』では「大小二の黒き犬」)犬墓大師堂の地元では、弘法大師を猪から守った犬の墓があったところと信じられています。
最も古い石造物には、犬墓ではなく「戌墓」と文字が彫り込まれています。墓は享保(1716~36)の頃、犬墓村庄屋松永傳太夫が造ったとされていて、地元の方が大切に守り続けています。
犬墓大師堂がある市場町犬墓大北は、八十八番札所大窪寺から十番切幡寺へお礼参りのために向かう歩き遍路の方が通る道筋にあり、お遍路さんや愛犬家の方が、少し立ち寄ってみたいスポットとなっています。近くにある一字一石経塔も興味深い石碑です。また、県道2号線沿いにある石碑を集めた個所には、さぬき津田近辺にしかない火山石(ひやまいし)で作られた石塔も見られます。

境目のイチョウ 徳島県と香川県の県境に『境目のイチョウ』があります。県道2号線沿いに立つこのイチョウは県指定天然記念物です。
イチョウは雌株で幹まわり7.8m、樹高16mあります。近くには近藤家が代々役人を務めた大影村番所跡があります。また、大坂夏の陣を戦った生駒甚助(讃岐高松藩初代藩主生駒親正の孫)終焉の地としての伝説が残されています。このイチョウのある県境までが大俣小学校の校区北限です。
(令和元年11月26日撮影)

井内勝重氏 井内勝重氏は、大俣小学校を大正8年に卒業されました。若くして朝鮮半島に渡り、金物商を営まれました。終戦後、尼崎で金物商を再開し、成功されました。井内勝重氏は昭和62年、市場町に1億円を寄付し、その浄財を元に体育館とプールが完成しました。大俣小学校には、井内勝重氏の遺徳を偲び、胸像が建てられています。21世紀に生きる子どもたちの健やかな成長を見守ってくれているようです。胸像は、地元ご出身の松永勉氏作。

岩滝用水 岩滝用水は、天保元年(1830年)頃に引かれた用水です。上喜来開ノ口から、約500mの距離があります。日開谷川の水を引き入れて、上喜来・大俣の田畑を潤しました。岩嶽の硬い岩盤を手作業で掘り進んだ古の人々の功績と労苦を偲び、現在も石碑が保存され、小学生が学習しています。

城王神社 城王山頂に建てられた城王神社と不枯の池新田氏の伝説が伝わる社の幕には家紋「新田一つ引」が染め抜かれる。
神社境内にある池は山頂にあるにも関わらず枯れることがないという。冬季は氷ができそうです。
土成秋月城の細川氏と対立した南朝の忠臣新田義宗が籠った日開谷城跡とされるが、遺構は見られない。
じょうれい踊りはここで奉納される。

徳島県内最古の庚神石碑 明暦3年(1657年)9月20日に建てられた庚神塔荒井門内の名前も刻まれていたと言われる。
総高 118cm,幅33.5cm, 剣形で上部に 青面金剛の種子と十 個の梵字を配し,「奉造立供養庚申誦 為現世安穏後生善所講衆敬白明暦三丁酉九月廿 日」の銘文がある。

荒川門内とキリシタン伴天連ディオゴ結城の物語 日開谷口番所跡石碑と『大法師不慶』と刻まれた石碑(寛永12年1635年)平島の阿波足利将軍家に仕えた荒川門内は、日開谷口番所役人を務め、後に、荒井姓を名乗りました。
石碑右下には、荒川門内子孫の荒井氏の名が刻まれています。
不慶の石碑は荒川門内の子孫が建てたと考えられています。
不慶はキリシタンが活躍した時代の最後の伴天連、ディオゴ結城のことです。
ディオゴ結城は、イエズス会に所属したカトリック司祭で、2008年ローマ教皇ベネディクト16世によって「福者」に列せられました。

市場町歴史資料館 市場図書館の2階にある市場町歴史資料館には、市場町の町名の由来となった蜂須賀家政公(蓬庵)花押のある高札や犬墓村座主の板碑、上喜来出土の石鏃など、文献や考古資料がたくさん展示されています。